早馬神社




左:拝殿、参集殿
右:中段より社殿を望む
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 早馬神社      御祭神 倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)                地図を表示
 宮城県気仙沼市唐桑町宿浦75  宿浦港鎮座。 
 「森は海の恋人」で有名な舞根、宿浦のリアスの入江に鎮座。


早馬神社奥宮




左:奥宮本殿
右:山頂より気仙沼大島を望む
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 早馬神社奥宮   御祭神 倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)           地図を表示
 早馬神社奥宮―早馬山山頂鎮座。
 レクリエーション施設「漁火パーク」から徒歩20分で山頂に到着。
 山頂からは360度のパノラマが広がり、気仙沼大島、気仙沼湾、唐桑半島、広田湾が一望できる。


早馬神社由緒
 今から約790年前の建保五年(1217年)、鎌倉若宮(鶴岡八幡宮)の別当(宮司)であった梶原専光坊僧正景實(かげざね、梶原平三景時公の兄)は、正治元年(1119年)の源頼朝公の死亡、 これを追うかのような梶原景時公一族の没落、又、和田、畠山氏が滅んで行くのを見て世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、その途中の当町石浜にたどりつきそこを切り開き住んだ。

 家の脇に社を建て、源頼朝公(鎌倉幕初代将軍)、梶原景時公(源頼朝公第一の家来)、梶原景季公(景時公の子)の御影を安置し一族の冥福を祈り、菩提を弔う為梶原神社を崇め祀った。

 後、一族の梶原三郎兵衛尉景茂の子である第二代大和守景永は、景實僧正の後を慕ってこの地に至り景實の猶子(養子)となった。景永は唐桑の為に神職となり、早馬大権現別当として早馬山頂に神社(奥宮)を建立した。

 正慶元年(1332年)、第五代大和守慶永の時、紀州熊野本宮より勧請し社殿を新たに建立。 以後、数度の建て替えが行われる。
 里宮は津波により石浜より明戸と移り、今から約400年前、現拝殿が鎮座する宿浦へ遷座する。
 中世は本山派修験として京都聖護院より良厳院を授かる。

 仙台藩時代には伊達家の祈祷師として仕え九曜紋を授かる。
 明治のはじめに早馬大権現より現社号に改め現在に至る。
 本山派修験良厳院累世社務を掌り現宮司で三十三代目となる。
 神幸祭には、神輿渡御、船祭り、献膳祭、打囃子、稚児行列、道中手踊りが執り行われる。


 奥  宮  早馬山頂(漁火パーク徒歩十五分)
 兼務社  八雲神社(越路 天王山頂)
 境内社  不動尊神社、金刀比羅神社、天照皇大神、若木神社、祖霊社



早馬神社 宮城県気仙沼市唐桑町宿浦75  TEL0226-32-2321 FAX 0226-32-2387