早馬神社




左:拝殿、参集殿
右:中段より社殿を望む
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 早馬神社      御祭神 倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)                地図を表示
 宮城県気仙沼市唐桑町宿浦75  宿浦港鎮座。 
 「森は海の恋人」で有名な舞根、宿浦のリアスの入江に鎮座。


早馬神社奥宮




左:奥宮本殿
右:山頂より気仙沼大島を望む
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 早馬神社奥宮   御祭神 倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)           地図を表示
 早馬神社奥宮―早馬山山頂鎮座。
 レクリエーション施設「漁火パーク」から徒歩20分で山頂に到着。
 (「漁火パーク」 宮城県気仙沼市唐桑町北中98−18)
 山頂からは360度のパノラマが広がり、気仙沼大島、気仙沼湾、唐桑半島、広田湾が一望できる。


早馬神社由緒
 今から約800年前の建保五年(1217年)、鎌倉若宮(鶴岡八幡宮)の別当であった梶原専光坊僧正景実【(かげざね〉、鎌倉武将 梶原平三景時公の兄)】は、正治元年(1199年)の源頼朝公の死亡、これを追うかのような梶原景時公一族の没落、又、和田氏、畠山氏が滅んで行くのを見て世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、その途中の当町石浜にたどりつきそこを切り開き住んだ。
【梶原専光坊僧正景実は箱根別当行實の弟子、『吾妻鏡』では専光房良暹(せんこうぼう りょうせん)】

 家の脇に社を建て、源頼朝公(鎌倉幕初代将軍)、梶原景時公(源頼朝公第一の家来)、梶原景季公(景時公の子)の御影を安置し一族の冥福を祈り、菩提を弔う為梶原神社を崇め祀った。
【梶原神社(梶原堂)は現在も気仙沼市唐桑町高石浜(鰍ゥわむら本社脇)に鎮座している。】

 建保七年(1219年)、一族の梶原三郎兵衛尉景茂【(かげもち) 梶原景時の三男)】の子である第二代大和守景永は、景実僧正の後を慕ってこの地に至り景實の猶子(養子)となった。景永は神職となり、早馬大権現別当として早馬山頂に神社(奥宮)を建立した。

 正慶元年(1332年)、第五代大和守慶永の時、紀州熊野本宮より勧請し社殿を新たに建立。以後、数度の建て替えが行われる。
 里宮は1611年慶長三陸地震の大津波により流失し、石浜より明戸と移り、その後、現拝殿が鎮座する宿浦へ遷座する。
中世は本山派修験として京都聖護院より『良厳院 (りょうごいん)』の院号を授かる。

 仙台藩時代には伊達家の祈祷師として仕え九曜紋を授かる。
明治のはじめに神仏分離令により早馬大権現より現社号 『早馬神社』に改め現在に至る。
本山派修験良厳院累世社務を掌り現宮司で三十三代目となる。
神幸祭には、神輿渡御、船祭り、献膳祭、打囃子、稚児行列、道中手踊りが執り行われる。

【史料】
『奥羽観蹟聞老志巻之九』 気仙郡
『梶原堂』
在石浜建保五年十月廿四日鎌倉若宮僧東遊所建也有影中頼朝卿左右梶原父子

『奥羽観蹟聞老志補修篇巻之九』 本吉郡
『梶原堂』
封内風土記曰。順徳天皇建保五年十月二十四日。鎌倉若宮別当専光坊景実所創建。而有小影。中央頼朝卿。左梶原平三景時。右同源太景季也。景実者梶原景時之兄。而為箱根別当行実之弟子。高倉天皇治承四年十二月。構宮社於相州鎌倉小林卿北。奉遷鶴岡宮。而為別当。宮事大庭景義司之。建保五年。去鎌倉来本邑石浜。結小菴居之。舎傍営構一堂。感其旧恩。掛先君頼朝卿家族梶原父子之影像。祀之梶原三郎兵衛景茂之子。大和守景永。尋景実之所在。来於斯地。終為景実之猶子。爾来至今五百余年。其子孫二十二世。綿々相継。御崎神社別当良厳院是也

『早馬神社』
 例  祭  9月19日
 神幸祭  10月第1日曜日
 奥  宮  早馬山頂(漁火パーク徒歩十五分)
 兼務社  八雲神社(越路 天王山頂南館跡)
 境内社  不動尊神社、金刀比羅神社、天照皇大神、若木神社、祖霊社


『梶原神社』
 例  祭  1月24日、10月第3日曜日 (梶原神社にて斎行)
 氏神祭  1月24日、10月24日 (良厳院にて斎行)



ウィキペディア「早馬神社」2016年10月8日(土)08:20のMakusakuraによる投稿は、このWebページの作者によるものです。
早馬神社 宮城県気仙沼市唐桑町宿浦75  TEL0226-32-2321 FAX 0226-32-2387